[平成25年度活動記録] 視察研修会・長野市芋井「素桜神社の神代ザクラ」 (記録者 向井)
■内容 長野市芋井「素桜神社の神代ザクラ」診断
■講師 佐藤 芳幸先生(樹木医) ほか 八田 鶴雄さん(神代ザクラ保存会会長)
■日時 2013/9/22(日) 10:00〜16:00
■場所 長野県長野市・素桜神社
■参加 総計13名(県緑サポーター12名、一般1名)
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天候に恵まれた視察研修会でした。研修先は長野県北西部。地図をご覧ください。
- *素桜神社について(WIKIPEDIAより)
- 長野市北西部の中山間地・泉平集落にある社である。
- 神社の名については、古代神々が各国に賜り育てるよう命じた桜のうち、この芋井の桜だけが生き残ったので
- 「神様から戴いた一番はじめの桜」であるから「素桜」(もとはな)と呼ぶという言い伝えや、桜の精が
- 「この桜は日本の桜の一番素(もと)になる桜だから『素桜』と呼ぶ」と語ったという言い伝えがある。
素桜神社の神代ザクラ(神代桜)(じんだいざくら)は、素桜神社境内にあるエドヒガン。
根回り9m・目通り周囲11.3m・樹齢は約1200年と推定される。1935年(昭和10年)12月14日、「素桜神社
の神代ザクラ」として日本国の天然記念物に指定。2012年現在、エドヒガンで国の天然記念物に指定されている
のは2件のみである。1992年(平成4年)に樹勢回復治療が行われた。
(注)神代桜 - 実相寺(山梨県北杜市)にある「山高神代ザクラ」。同じくエドヒガンで、国の天然記念物。
由来に関する言い伝えはいくつかあるが、一般的には「素戔嗚尊がこの地で休んだときに、持っていた桜の杖を池の畔に挿したものが成長した」と伝えられる。
観世宗家が1898年(明治31年)に作曲した謡曲『素桜』はこの桜を題材としている。
天然記念物(国指定文化財)の案内ボード。
緑サポーターたちが、樹勢回復のために設置された散水コントローラーの配管状況等を点検作業中。
樹木診断システム「ドクターウッズ」を用いてソナーで内部診断をしている光景。
佐藤樹木医からの「神代ザクラ樹勢回復事業に関するお願い」(資料より抜粋)
「約20年前に故尾台喜貞樹木医の指導のもとに樹勢回復工事が
実施され、一時は樹勢が非常に良好になったが、ここ数年は、枝先だけでなくかなり太い枝にまで枯死する部分が目だち、明らかに衰退が進んでいる。
原因の一つとして考えられるのは、平成17年西側に大きな農道が作られ、なだらかに伸びていた斜面がなくなり、切り土部分が高いブロック積みになったため、サクラの周辺土壌が乾燥してきていると考えられること。
その他にも開花期に観光客の踏圧による根茎の衰退や吸汁性害虫の発生など。
保存会の八田会長と管理計画を立てて、毎年予算をいただいて土壌改良・施肥等樹勢回復に努めてきたが衰退を防ぐまでには至っていない。この状況が今後続くならば、貴重な国の天然記念物を失う可能性も無いとは言えない。
樹木医会長野支部の力を借りて総合的な診断を実施したうえで、現時点で樹勢回復に必要な処置を施すことが急務と考えます。
地元保存会の予算だけでは非常に厳しいのが現実。灌水設備や菌根菌資材による新しい土壌改良工法を施行するには、かなりの経費がかかるのも事実です。
地元の貴重な文化財をよりよい状態で後世に引き渡すためにも、皆様のご理解とご協力を賜りたくお願い申し上げます。」
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<参考記事>
下は、ブログ記録者が翌9月23日、個人的に訪れた北杜市小渕沢町の「神田(しんでん)の大イトザクラ」です。
推定の樹齢は400年以上といわれ、1959年(昭和34年)2月9日に山梨県の天然記念物に指定されたもの。
以前、緑サポーター研修の樹勢診断の折に、「すぐ横に舗装道路が建設されて以来の通行車両による振動、またアクセスが良くなったために観光客が増えて、その踏圧が原因と思われる。」と説明がありました。
数年前に張り巡らされた防風ネットに対して景観上の苦情が寄せられたようですが、それでも春になると訪れる人々は相変わらず多いようです。
詳細は →(Wikipedia)神田の大イトザクラ