県内視察研修会

 日時:令和2年10月14日  7時30分~

場所:1.美し森ツツジの下草刈り

   2.巨樹観察

   (1)小淵沢の大モミ

   (2)武川の山高神代桜

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1.美し森ツツジ保護、育成活動AM9:00~12:00

(1)活動の主旨 

 美し森環境美化活動には、この3年間参加をしてきましたが、今回は、北杜市観光協会と協議した、美し森ツツジ保護、育成活動について、山頂部(令和元年及び2年度)に植栽した「献植」保護、育成を目的に活動する。

(2)活動内容

 美し森頂上周辺に献植したツツジを対象に周囲の笹、カヤなどのを除去(下草刈り )

(3)参加者18名 

(4)開始前のミーティング

 北杜市観光協会萩原理事挨拶及び比奈田事務局長から今回の活動に対する感謝の辞が有りました。

 此に対して会長より今回の活動の主旨と今後の保護活動の必要性及びローテーションについて説明が有りました。

(5)作業上の注意事項北杜市観光協会

 ・山頂登山道付近に植栽したツツジのマーキングリボン除去

 ・山野草(リンドウ、センブリ等)を切らないように注意

  ・県文化財課のテグス病対策の薬剤散布区域は対象外

 以上の注意事項を確認し、コロナ対策にも十分配慮し作業分担を予定時間通り終了しました。

 一同は綺麗に刈り取られた草原を眺めながら達成感をしばし味わいながら額の汗を拭いました。

 「美し森ツツジ祭りの歴史」

   1948年(昭和23年)第一回のツツジ祭りが開催され、今年で72年となります。

 当時はレンゲツツジが山頂から麓まで一面に見事に咲き、多くの人が楽しんでいたそうですが、その後、山火事、病気などで一部衰退しましたが、北杜市観光協会主催の春/秋の年2回の保護活動や植樹が行われ、やまなし緑サポーターも3年前から参加し、植樹、下草刈りを行っています。 

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2.小淵沢の大モミ(解説者麻川会員) 

 所在地:北杜市小淵沢町小淵沢井詰原

 指定:1966年5月30日(昭和41年)

 管理者:北杜市(県の天然記念物)

 樹高50m(実際はもっと低い)目通り幹囲5.8m(地上1.3の高さ)

 推定樹齢:500年る

 山梨県の天然記念物に指定された古木「もみの木🎄」小井詰神社本殿壮健の下りに植えられたと言い伝えのある、ご神木で県下随一と言われています。

 この根元からこんこんと湧き出る湧水は「井詰湧水」と呼ばれ古くから人々の生活を潤してきたもので、昼なお暗い鬱蒼とした林の中を清らかな水が緩やかに蛇行して流れています。

 小淵沢小学校の校歌にも「井詰の流れ清らかに・・・」と出てくる歴史ある湧水です。旧小淵沢町が設置した案内板には、天仁2年(1109年)小井詰神社本殿創建の際に植えられたとも記されており、両者には400年ほどの食い違いがある。

 モミ🎄はマツ科の常緑針葉樹で、成長が早く、高木となります。モミの大木はその地域のラウンドマークとなっています。

 モミ🎄というと山本周五郎の小説『樅ノ木は残った』を思い出す人もいることでしょう。小説では主人公原田甲斐に「樅ノ木は北国の風雪に強い木で、江戸では暖かすぎて良く育たない」と嘆かせていますが、実際には暖かい気候を好む木で、秋田県南部から鹿児島県の屋久島まで分布しています。

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  大モミの由来や管理状況について解説する麻川解説者と熱心に聞き入る参加者の皆さん。

 木の高さを測る方法は幾つか有るが、麻川解説者はクリノメーター(傾斜儀)により測定しました。 

 麻川氏は自分で、分度器、一本の紐と重りとで自家製のクリノメーターをつくり用意して、まずは、根元から木の頂点が見える地点の距離を測り仰角を測定し樹木の高さを計算して、樹高ほぼ約50mの高さを確認した。

 併せて幹囲5.8mを測定しました。又、各自モミの樹勢、破損状況等つぶさに観察して樹木の診断を行い相互に評価点を発表しました。

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3.山高神代桜(解説者小林会員)

所在地:北杜市武川町山高実相寺境内

樹種:エゾヒガン

管理者:実相寺(国の天然記念物)

 神代桜(じんだいざくら)は、北杜市武川町山高実相寺境内にあるエゾヒガンザクラの古木である。国指定の天然記念物であり、天然記念物としての名称は山高神代ザクラ(やまたかじんだいざくら)である。

 樹齢は1800年とも2000年ともいわれ、日本五大桜または三大桜の1つであら、1922年(大正11年)10月12日に国の天然記念物に、1990年(平成2年)6月に新日本名木百選(大阪市読売新聞社の企画)に指定された。

〈沿革〉

 日本武尊が東征の際にこの桜を植えたといわれており、13世紀の鎌倉時代日蓮が樹勢の回復を祈願したとの伝説がある。

 1922年(大正11年)には国の天然記念物に指定された。当時、高さ13.6m,枝張り東西27.0m南北30.6m高さ1.5mの地点の幹回りは10.6mあり、衰えが見られたとはいえ現在と比べればかたり樹勢はあった。明治40年に撮影された写真と比べて神代桜の高さや枝張りが小さくっていることが確認されており、1948年(昭和23年)には「あと3年で枯れる」と言われ、1951年(昭和26年)に撮影された写真では南側に張り出していた太い枝が枯死してさらに神代桜が小さくなっていたことが確認されている。1959年(昭和34ね)には台風でさらに太枝が折れてますます小さくなり、1984年(昭和59年)には、ついに幹の上に保護用の屋根がかけられるようこそになった。

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保護屋根撤去前の神代桜(2004年4月)

 この樹勢低下を受けて、2002年(平成14年)に武川村教育委員会は日本花の会に樹勢衰退の要因を探るべく調査を依頼し、同会は学識者から成る「山高神代ザクラ樹勢回復調査委員会」を設けて調査にあたった。その結果、国の天然記念物に指定されて以降に行われた石積みの囲いと、囲い内に2度盛り土を行ったことが樹勢を悪化させことが判明し、特に1971年(昭和46年)の2度めの盛り土が樹勢悪化を加速させたことが判明した。元より見物客の踏圧で弱っていた根の上から厚い盛り土をしたため根への酸素供給が断たれた上に、囲い内は清掃が行き届いていたため有機質の供給がなくネコブセンチュウ病が蔓延していた。さらに保護用の屋根の設置により根元が乾燥した事も樹勢に悪影響を与えていた。

 2003年(平成15年)から日本花の会の設計と施工管理の下で、地元の株式会社雲松園が樹勢回復工事に着手し、神代桜の周囲の土壌を取り除いた替わりに、土壌改良材を混ぜた赤土で埋め戻して地表部には養分と微生物に富んだ培養土を敷いた。

 この結果、早くも翌2004年(平成16年)には新枝が前年の2倍の早さで伸び、葉の枚数も増え、根の発根量も目に見えて増えるなどの樹勢回復が認められた。そして2006年(平成18年)には保護用の屋根が撤去された。 

満開となった宇宙神代桜🌸

 2008年(平成20年)から2009年(平成21年)にかけて、本桜を含む14種の花の種を国際宇宙ステーションの日本実験棟「きぼう」に8ヵ月半滞在された後に地球へ戻し、無重力状態が発育に与える影響などを調べる実験が行われた。約12 粒宇宙飛行した種のうち、帰還後発芽した2粒に過ぎなかったが、うち1本は宇宙桜として実相寺で公開されている。この宇宙神代桜(仮称)は2010年(平成22年)に発芽したものだが、2012年(平成24年)春に異例の早さで初開花し、注目をあつめた。2017年(平成29年)3月、宇宙桜に成った実を発芽させた2世桜が、岩手県洋野町および福島県楢葉町に贈呈され、東日本大震災からの復興のシンボル「きぼうの桜」として植樹された。その後も同様に、2018年4月には福島県浪江町および富岡町に、2019年3月には福島県飯舘村宮城県名取市に贈呈、植樹されている。

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  小林解説者からこれまでの樹勢回復作業の経緯について説明が有りました。

 1948年(昭和23年)「あと3年で枯れる」と言われ、1951(昭和26年)には太い枝が枯死しさらに桜🌸が小さくなり、1959(昭和34年)には台風⚡🌀☔で太枝が折られて、益々桜🌸小さくなりました。これ等のことからこれまでに石積みの囲いや盛り土を2回にわたり行い更に、枯れた幹の上に保護用の屋根がかけられる等、樹勢の回復を図ってきました。

 しかし、2002年(平成14年)日本花の会に樹勢衰退の要因を探るべき調査を依頼し、その結果石積みの囲いや盛り土が踏圧で弱った根への酸素供給が断たれた上に、囲い内は清掃が行きと届いていたため有機質の供給がなくネコブセンチュウ病が蔓延していた。さらに保護用の屋根の設置により根元が乾燥した事も樹勢に悪影響を与えていた。

 2003年(平成15年)から日本花の会の設計と施工管理下で、地元雲松園が樹勢回復作業に着手し、桜🌸周囲の土壌を取り除いた替わりに、土壌改良材を混ぜた赤土で埋め戻して地表部には養分と微生物に富んだ培養土を敷いた。  

 この結果、早くも翌2004年(平成16年)には新枝が前年の2倍の早さで伸び、葉の枚数も増え、根の発根量も目に見えて増えるなど樹勢回復が認められた。そして2006年(平成18年)には保護用の屋根が撤去された。

 以上の説明が有りましたが、その時代の変遷により対応や技術の変革を感じました。常に新しい技術を学び、情報を共有して会員相互の連携を図りながらスキルんを高めていきたいと思っています

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  今回の研修ではコロナ禍にあって、我々にどんな活動が出来るのか、数次の役員会を重ねながら計画して来ました。 

 此までの講師招聘の研修会でなく、会や会員だけで出来る活動に心がけ会員の中から講師を指名するなどに配慮した計画としました。

 結果会員が積極的に活動に関心を持って参加をして頂き有り難う御座いました。お陰さまで自主研修は成功裡に終了する事ができました。 

 ご参頂きました皆さん大変ご苦労様でした。 

                 以 上

 

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